昨年の春、ボランティアグループひだまりに、オーストラリアからの車椅子の留学生メラ二一・ホークスさんの生活援助を、姫路市総合福祉通園センター・ルネス花北、地域生活支援部より依頼があり、メンバー3人で支援させて頂きました。
新聞やテレビでご存じの方も多いと思いますが、彼女は通訳を夢見て1年間姫路独協大学で日本語を学ぶ19才の学生です。3人の弟がいる普通の家庭に育ちました。
1才の時、脊髄炎にかかり、両手足に重い障害を持ってしまいました。以来車椅子での生活となり、お母さんに学校の送り迎えや身の回りのことすべて面倒を見てもら
いながら、明るく、素直で、前向きな女の子に育ちました。
お母さんはいつも"独立"と言う言葉を頭におかれてい たようです。(帰国前のパーティで話されたお母さんの言葉より)彼女もそのことはよくわかっていたのでしょう。
「自分のことは出来るだけ目分でやりたい」と常々思い、この留学に際して西オーストラ リア州で二人という難関の奨学金テストに合格し、受入れ体制(大学・住居・介助者など)にさまざまな困難があったのですが、それらをすべて乗り越えてきました。
オーストラリアで知り合ったNさんに、日常生活援助の有償ボランティアを依頼し、 家族と離れ単身来日しました。私たちは、Nさんの休日交替として週1回夜の排泄介助
と就寝準備をすることになり、5月末から今年の1月末まで8カ月間彼女と接してきました。その問、彼女を通していろいろ教えられたことや考えさせられたこと、また出来事などを書いてみたいと思います。
まず英語の苦手な私は、初めて会いに行く日はもうドキドキで、彼女から「こんにち は、メラ二一・ホークスです。」と流暢な日本語で屈託のない笑顔であいさつされたときは、思わずこちらが日本語をトチッテしまいそうでした。
車椅子生活では、排泄・シャワーやベッド移動・衣服の着脱に介助は必要ですが、いざ車椅子に乗ってしまえば達者で、自転車と同じ速度で走ったり、ひとりで買い物に出
かけたり、彼女は本当に行動的でした。
両手が不自由で思うように動かせませんが、口やあごをうまく使いノートに上手に 字を書き、書道や空手にも挑戦していました。書類の整理も器用に手の甲に乗せて飛
ばしながら整理していました。食事もフォークやスプーンで食べ、歯磨きなども人の手を借りずにしていました。とにかく出来るだけ自分のことは自分でしようと「それ
は出来るから」と言い、困ることだけを頼んでいました。在日中は、旅行や地域の行事にも積極的に参加したり、子供たちに英会話を教えたり楽しく過ごしていました。
暮れも押しせまった頃、わが家のもちつきの話をすると、
「ぜひ、もちつきに行きたい」と当日朝早くやって来た彼女、初めて会う私の親類たちにも戸惑う事なく、 スムーズにとけこみました。おもちも上手にテーブルの上で転がしながら形が悪いと丸くなるまで―生懸命丸めていました。重い杵も、「持ってみたい」と挑戦しましたが、これは重すぎて残念でした。上手に丸めたおもちをみんなにほめられ、上機嫌で何個も何個も丸めました。
日本の伝統行事にも積極的に触れ、何事にも物怖じしない彼女のしぐさが周りのみんなを楽しくしてくれました。
彼女を介助するに当たっては、体カがいると思っていた のですが、移動―つ取っても、電動リフトで車椅子からべッ ドへ、べッドから車椅子へと簡単に移動ができ操作も楽で
した。衣服の着脱もスムーズで、排泄介助にしても電動車椅子はリクライニングでき、ズボンはお母さんが股下にファスナーを縫いつけ、脱がなくてもいいように工夫されてい
ました。これらは、移動の不自由な患者さんを介護してい る家族の方に教えてあげられるなど思いました。また実際、 電動車椅子に乗せてもらい、操作してみたのですが、彼女の様に手が変形しカが入りにくくても、少しのレバー操作で
自由に動くことが出来ることを知りました。これも家人が後ろから押していかなくても操作の出来る人には便利なものだと思います。ただ高価なものなのでどの程度構入時に援助してもらえるものかとまだまだ私の勉強不足です。
たくさんの人と接し一年間の留学生活を意義あるものにしたのではないでしょうか。
オーストラリアに帰っても、ひとりで生活できるように手配し、少しでも両親に負担をかけないように準備を進めているようです。これから先、いろいろな困難があると思いますが、持ち前の明るさと根性で乗り越えていくのでしよう。そして立派な通訳になってほしいと期待しています。
彼女も話していましたが「日本の障害者に私を見てほしかった。外国で―人で暮らせるんだ。 障害者だからといって家の中に引っ込まないで外に出ていって欲しい。」とこの前向きな姿勢は私たち健常者こそ学ばせてもらうものが多かったです。私自
身も彼女を通じて多くの人と関 わらせて頂き、二度と出来ないような経験をさせてもらったことを感謝しています。それと「人間は―人では生きていけないな」とつくづく感じさせられ
ました。
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