機関誌「花みずき」

「コロナ感染」の中でで想う

院長 大頭 信義

◇コロナの大暴れが 終わりません
 新型コロナの猛威がまだまだ終焉を迎えそうにありません。毎日のテレビや新聞でも、トップニュースを占めています。
高齢者の中には、早く終わってくれないかと、心底心配しておられる方が多いですし、施設の運営者や施設の中で生活している方にも深く心を痛めておられる方が多いことだろうと思います。

◇ ウイルス感染の痛恨の歴史
 今回の感染の犯人は、「新型コロナ」だという。どんな歴史的な背景があるのだろう。古代から、病原体には寄生虫に始まり、細菌、ウイルスなど色々な種類があります。
100年少し前に人類史上で最悪と称されたパンデミック“スペイン風邪”が世界中に蔓延しました。それは1918年3月に米国カンザス州の陸軍基地で始まりました。
 インフルエンザ症状を訴える兵士が続出し、3月だけで233名の肺炎患者が出て、うち48名が死亡しました。大人数が密集する兵員輸送船、塹壕(ざんごう)や兵舎は格好のウイルス繁殖の場となり、5月頃から西部戦線、夏には欧州全域に広がりました。やがてアジア、アフリカ、南半球にも飛び火し、秋以降に世界的な蔓延となりました。欧州戦線では対峙していた全兵士の半数以上が感染、大戦の総戦死者の6割〈約1,000万人〉の1/3がこのインフルエンザが原因であった、とされているようです。交戦国は感染の蔓延を発表せずに秘匿しましたが、一方、中立国だったスペインは正直に発表したため、「スペイン・インフルエンザ(風邪)」と呼ばれるようになったとのことです。その後、第2、第3の感染の波が襲い、各地の死者は欧州で230万人、インド1,850万人、米国68万人、アフリカ238万人、中国400~950万人、日本39~45万人と言われ、人類史上最大の悪質な疾患となりました。
 質的にも、高齢者よりも18歳から30歳台後半の若年、壮年層の犠牲者が多いのが特徴とのことでした。著名人ではドイツの社会学者ウェーバー、フランスの詩人アポリネール、オーストリアの画家クリムトらが命を落としたそうです。スペイン・インフルエンザ「流行性感冒」と言われ、日本では、皇太子だった17歳の昭和天皇も患いました。皇室では、感染した竹田宮恒久王が1919年4月に肺炎で死亡しています。

◇さらに拡大して
 1918年10月頃からは本格的な流行となりました。1922年刊行の内務省衛生局編「流行性感冒」は、「交通頻繁なる都市に発し之より放射状にその周囲村落を侵襲するを常とせり」と記述しています。
医療体制の整っていない地方は特に悲惨で、患者の半数以上は治療を受けられない村や人口約1,000人中970人が感染して70人が死亡、「一村全滅」と報じられた地域もあった、とのことです(日経新聞の記事による)。
 この「前流行」は、翌1919年の夏前には収束しましたが、内務省の記録では患者は約2,117万人、死者は25万7,000人で、当時の国民の4割が感染し、死亡率は、1.22%だったそうです。
 そして秋には、「後流行」がやってきて、死亡率5.2%と伝えています。この「後流行」では、感染が「前流行」の1割に激減しましたが、その原因を、多くの人が免疫を獲得したからだと、分析しています。ただ一方、死亡率は5.29%と4倍以上に跳ねあがっています。
 この前後2度にわたる大流行で、内務省の記録では、総感染者数約2,380万人、死者数38万9,000人、死亡率1.63%とされました。