機関誌「花みずき」

播磨地域の歴史やこの地の生活について
-「花みずき」のテーマを少し拡げて-

院長 大頭 信義

◇少しテーマを拡げて
 これまで「花みずき」では、主として健康や療養についてのテーマを主たるものとして取り上げてきましたが、時には旅行記や生活の報告などもピックアップしてきました。
今回の「花みずき」では、古い時代のテーマとなりますが、p.4にて石黒始さんの「縄文時代と地名2」という記事も、熱い想いが籠った記事として採用させていただきました。

◇播磨臨海工業地域について
 日本の「四大工業地帯」については、小中学校時代から私たちも教科書その他で慣れ親しんできました。そう、東京を中心とした京浜工業地帯、大阪を中心とした阪神工業地帯、名古屋を中心とした中京工業地帯、福岡を中心とした北九州工業地帯が有名ですね。
 これらは大規模な「工業地帯」として名が通っていますが、もう少し規模のこじんまりとしたところとして、「工業地域」と呼ばれている地方があります。
この地では、埋め立てられた干拓地も多く、専用の港湾を持っていて、原料の入手や製品の輸出にも便利なように工夫されてきています。
 このような工業地域としては、太平洋ベルトとして、鹿島臨海工業地域、大分工業地域、北海道工業地域、仙台工業地域、播磨工業地域等がありますが、この「工業地帯」と「工業地域」の定義や使い分けは、曖昧なもののようです。
 このうち、播磨工業地域は、姫路市や加古川市等の播磨地方の湾岸を埋め立てて完成された工業地域で、姫路港や東播磨港を有し、化学・鉄鋼等を牽引力として高度成長期以降の日本経済を支えてきました。
 主な企業としては、日本製鉄(広畑製鉄所)、合同製鉄、神戸製鋼所、大和工業。山陽特殊鋼、三菱製紙、ダイセル、関西電力、大阪ガス、東芝、三菱電機、パナソニック等々です
私たち市民の中にも、家族がこのような大企業に勤めていたり、その社宅に暮らしていた方が沢山おられました。その方たちの中には、常に、共同体を支えるという意識が相当に強かったという気が致します。


◇そして、歴史的にみれば
 姫路地方は、京・大阪と九州道との間をつなぐ山陽道の中心に位置していて、西国街道の主要宿として栄えてきました。そしてこの地からは東の方へは、福知山を介して京へ延びる街道、まっすぐ北へ向かえば朝来(あさご)、養父(やぶ)を介しての豊岡への街道、さらに西北へは、三日月、佐用を通り智頭(ちず)街道を経て鳥取に至るという主要道の交差点でした。また、波穏やかな瀬戸の海路も古来、京・大阪への重要な宿泊地でした。 
 ちなみに江戸時代の参勤交代について、九州からの大勢の行列一行は瀬戸内を航行してきて、姫路市の室津に上陸し、ここで下船して行列を立て直し、改めて「下に、下に~」と進み直していたようです。室津港には今も当時の港町の面影が色濃く残っています。
 西国街道は、京都の羅城門(東寺口)から赤間関(下関)に至る道として整備されました。現在の山陽道とほぼ一致するものです。当時の道幅は、約2間半(4.5m)と定められていました。そこを、駕籠、牛馬、荷駄等も行き交いしていたのですね。
 現在の兵庫県内をみてみれば、当時の宿場町としては、昆陽(伊丹市)、西宮(西宮市)、大蔵谷(明石市)、姫路(姫路市)、正條(たつの市)、片島(たつの市)、有年(うね、赤穂市)が挙げられます。
 明治4年(1871年)7月には廃藩置県が行われ、30を超える小さな県域を集め、兵庫飾磨(播磨全域)、豊国、名東両県の一部が兵庫県に併合されて、ほぼ現在の県域が確定しました。

◇当地域の気候は
 中南部の沿岸から中国山地手前までは典型的な瀬戸内気候です。年平均の気温はおよそ15度、年間降水量は1,500mmくらいで特に冬季の降水量が少なく、日照時間は2000時間を超えるというデータになっています。
 姫路から赤穂にかけては、近年まで天日性および流下式の製塩業が盛んで、当地らしい風物詩を呈していました(現在、製塩は工場内での電気分解に依存していて、あの長閑な風景は見られなくなりました)。

◇入浜式製塩
  私は、子供時代を徳島の鳴門で過ごしましたが、その地でも赤穂と同じように製塩が盛んで、午後に2時間くらい砂運びに参加し、お駄賃として毎回5円を貰っていました(その後大学時代、また医者になっても、このような「アルバイト」生活は、長く続きました)